(MADTEO)

MADTEO

94年にイタリアからニューヨークに移住、DJとして活動しながらさまざまなレーベルから実験的な電子音楽をリリースしてきたMADTEOことMATTEO RUZZON。ジャンルに依存しない作風で知られ、ハウス、テクノ、アンビエント、ダブ、ヒップホップなどのあらゆる要素を横断しながら、音楽をクラブ(はたまたダンスの)用途の外側へと拡張してきた。音の配置や媒体の扱い、流通経路の選択。そのすべてを構造として捉える観察的な制作姿勢。彼にとって音楽は消費物ではなく、都市や社会の現実を切り取るための記録装置に近いといえる。

MADTEOの出発点は、ニューヨークのストリート文化とレコード掘りの習慣にある。廉価盤やB級ディスコの12インチ、unknown – untiteledなハウストラックを素材として扱い、それらを再編集する。音の階層化を拒む態度。クラブカルチャーの外縁で形成された、独自の編集的聴取。彼にとってのDJは、再生ではなく観察。選曲や構成の中で音の社会的文脈を顕す行為。

Interview – MADTEO: カルチャーへの飽くなき探求

活動初期から関わってきた〈Workshop〉は、その思想を明確に表す場の一つである。ベルリン拠点のレーベルでありながら、ドイツ的な整合性よりもむしろ即興的な余白を重視する姿勢で知られる。Workshopのカタログにおいて、MADTEOの楽曲は特異な位置に置かれている。リズム構造が不定形であり、録音の粗さやループの曖昧さがそのまま残る。レーベルが掲げる曖昧なクラブ・フォーマットという理念の具現として、整ったテクノトラックの反転として機能する不均衡の美学を指し示す。

*MADTEO – Untitled B1

*Workshop Takeover – MADTEO – 2nd September 2017

同じく〈The Trilogy Tapes〉との関係も重要である。Will Bankheadが主宰するこのレーベルは、ハウス/テクノ以外の領域も交差させる編集的拠点であり、MADTEOにとっては形式の制約を取り払うための場であった。Trilogy Tapesからのリリースでは、ヒップホップ的なサンプリングや断片的な構築がより顕著に現れ、クラブフォーマットの中でポストミュージック的な手法が展開される。音の連続性ではなく、断絶と再構築による構成。曲の完成度よりも録音過程の痕跡を残す編集の精度。Trilogy Tapesのアートワークやフィジカル中心の流通方法も、MADTEOの美学と親和的な関係にある。

*MADTEO – Mad Dip Revue (Pt. 1 from THE TRILOGY TAPES TTT #27, 2012)

〈Hinge Finger〉への参加も、MADTEOの活動を理解するうえで欠かせない。Joy OrbisonとWill Bankheadが共同運営するこのレーベルでは、クラブトラックの制度的文法が再検証される。MADTEOの『Rugrats Don’t Techno for an Answer』(2012)は、ハウスのグルーヴを保持しながらも、構造的にはヒップホップのブレイクビートやアブストラクトな編集を導入しており、リズムの密度よりも「間」に焦点が当てられている。レーベルの志向する、メインストリームとアンダーグラウンドの境界を横断する編集的アプローチ。その中で、MADTEOは「整合を拒むクラブトラック」という新たな形を提示した。

〈Wania〉との関係は、DJ Sotofettを媒介として成立していた。ノルウェーのSex Tags Mania周辺に位置づけられるこのレーベルは、DIY的なローカリティと国際的なネットワークを併せ持つ。MADTEOはSotofettとの交流を通じて、ハウスやダブを素材とした有機的な構築法を共有し、録音という行為を社会的実践として捉える視点を深化させた。Waniaからのリリースは少数ながら、そこに含まれる即興的な編集、音圧の不安定さ、メディアの物理性は、MADTEOの制作哲学と一致する。録音の外側にある現実を音として取り込む態度。Sotofettが「場」を生成するアーティストであるのに対し、MADTEOはその場を記録する観察者として機能する。

*MADTEO‎ – Moretones (Mix)

これら四つのレーベルのいずれにも共通するのは、形式的な完成度よりも構造の再考を重視する点である。Workshopの曖昧さ、Trilogy Tapesの編集的混沌、Hinge Fingerのクラブ再構築、WaniaのDIY的流通〜それぞれが異なる文脈を持ちながら、MADTEOの音楽観においては一つの思想として接続されている。音楽をジャンルではなく制度として扱い、その制度の内部から微細に構造を揺らす試み。彼の作品は、これらのレーベル群を通じて、クラブカルチャーを記録装置として再定義する運動の一部として機能している。

アルバム『Dropped Out Sunshine』(DDS, 2019)は、それらの思想を統合した地点として位置づけられる。ビートトラックと実験的断片が混在し、録音の粗さが音の強度として作用する。精密な編集よりも、偶発的な時間の流れが前面に出る構成。作品としての完成を目指すのではなく、制作の過程をそのまま提示する透明性、そして録音、編集、再生というプロセスを並列化する方法論。

*MADTEO – Dropped Out Sunshine

DJミックスにおいても同様の思想が見られる。ジャンルの区別を排しながらも、質感と密度によって構成を成立させる。音圧ではなく音場の変化、曲の連続ではなく素材の並置。ミックスが記録媒体のように機能する構成。MADTEOの選曲は、音楽の履歴を再配置するためのアーカイブ的行為であり、DJという役割を演奏から編集へと転換する実践。

*FACT Mix 465 – MADTEO (Oct ’14)

こうした活動全体を通じて一貫しているのは、音楽を経済的流通や市場価値の文脈から切り離す意志である。安価な中古盤や非主流のフォーマットを積極的に取り込み、価値体系そのものを再構成する試み。音質や時代、産地の差異を素材として扱うことで、聴取行為の条件を露出させる。レコード文化の末端に存在する音源を再編集することによって、クラブ・カルチャーの基盤にある「均質性」を批評的に反転させる。MADTEOにとって音楽とは、体系の中に位置づけるものではなく、その体系を観察するための装置。

MADTEOの表現は、いずれも構造をめぐる実験として読み解くことができる。それらはすべて、音楽が制度に依存せず存在しうるかを問うための実践。ハウスでもテクノでも、エクスペリメンタルでもない、構造としての音楽。LA DI DA DIが11/15(土)にローカルのアクトたちとともにその構造体のひとつとなり、フォーカスを喚起する。